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徳を積む

ヘルプマークをご存じでしょうか?

昨日カフェの入店待ちをしていましたら、後ろに並んでいた方が気さくに声をかけてくださいました。
何気ない会話が弾み、待っている間も楽しい時間となりました。
その方のバックにヘルプマークがついておりました。
冒頭に“ご存知でしょうか”なんて偉そうに書きましたが、見たことあるような気はするけれども
そのマークがどういう意味を持っているか、私も友人も恥ずかしながら即答できませんでした。
早速調べましたところ、「外見からはわからなくても、場合によっては援助や配慮を必要としますよ」
のマークでした。
聴覚障害や高次脳機能障害、義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、妊娠初期の方
などなど、幅広い症状の方々が身に着けていらっしゃるもので、東京都が作成し、栃木県でも平成29年
8月1日からこのマークを導入しています。
これでヘルプマークを理解いたしましたので、今後はお持ちの方を見かけたら、電車やバスでは
何気なく席をお譲りし、お困りのようでしたらお声がけするなどの配慮をスマートに行いたいと
思います。
誰かのために何かしたり、良い行いをすることを、「徳を積む」と言います。
しかしながら、徳積みを目的にヘルプマークの方を手助けした、となると何だか急にいやらしさが
出てきます。
結果いいことをするんだから、どんどん自分の徳積みのために善行をしたらいいのでしょうが、
日本人特有の美徳なのか奥ゆかしさなのか、あからさまに「自分のためになるからやるんだ」という
気持ちはないことにしておきたいものです。
「陰徳あれば陽報あり」ということわざがあります。
人知れず良い行いをすれば、必ず良い知らせがくる、という意味です。
「陰徳」とは相手からの見返りや礼を求めない行いのこと、また「陽徳」とは直接感謝され人に
知れ渡るような行いのことを言います。
やはり昔から「良いことはひそかに行った方がいいんだ」という考え方があるようです。
仏教の習慣には、気づかなかったけど実は自分の徳を積んでましたよというものが多くあるように
感じます。
例えば卒塔婆。

卒塔婆を立てるのは、実は自分の善行、つまり徳積みになります。
故人の安寧を願って卒塔婆を立てることが自身の善行になり、それが卒塔婆を通して故人の善行にも
なり、徳が上がって極楽浄土へ近づけるというシステムです。
これを「追善供養」といいます。
卒塔婆を立てるときは、大抵の方が故人様のため以外のなにものでもない思いで用意しますよね。
人のためと思っていたら、あれれ自分の徳も上がっていたじゃないの。
これがいいですよね。
なんとも日本人の心持に寄り添っている方法だなぁと感じます。
奥ゆかしいことも素敵ですが、表立ってだろが何だろうが、いいことはじゃんじゃんやったらいい
じゃん。
やらないよりは、やったほうがいいじゃん。
最終的にはそう思います。
人のためにも自分のためにも、いいことをたくさんいたしましょう!